昨日と今日 縦横切替
「さて、そろそろ会議を始めましょうか」
 上座に座った少年が言う。少年は若干眠たげな目をしていたが、それは生まれつきだった。背中には大きな黒板。「七月定例会」の文字がチョークで丁寧に書かれていた。
「ちょっと待って下さい、議長。まだ人数が揃っていません」
 おや、という風に議長と呼ばれた上座の少年は、周りを見渡す。確かに一人、足りない。
「誰ですか、時間通りに来なかったのは」
「後藤君です」
「……またですか」
 議長はため息をつき、思案顔で虚空を見る。今回の遅刻の理由は何だろうか。この間は確か、寝坊。一度はやたらと信号につかまったから、なんて馬鹿げた理由もあった。今回は朝食の皿洗いに手間取ったから、とかそんなところだろう。
「仕方ありません。全員揃わなくては意味がないので、しばし歓談、ということで」
 議長は長机の上に広げた資料を横に寄せつつ、もう一度ため息をついた。今度のため息は後藤に対する苛立ちというよりも、他の出席者が遅刻しないよう牽制するためのものだった。といっても、後藤以外のメンバーは、早く来すぎることはあっても遅刻することは今まで一度もなかった。最近では三村が「待つのが快感になってきました」と言い、一同から変態を見る目で見られた。完全に形式的な牽制だった。
 コの字型に組まれた長机。議長から見て左側真中に座っている川端という少女が立ち上がり、慣れた手つきで全員にお茶を配った。
「よろしければ、これも」
 全員に配られたのは、綺麗にラッピングされたチョコレートブラウニーだった。
「昨日、バレンタインでしたので。お口に合えばいいのですが」
 少女は全てを配り終えた空の手を胸の前で抱き、微笑んだ。
「手作りですか?」
「もちろんですとも」
 その言葉に一同は大層喜んだ。
「おお! 川端さんの!」
「家族に自慢できます!」
 少年たちは口々に喜びの声を上げ、川端は何でもない顔で「恐縮です」と答える。何でもない顔をしたまま、唯一赤いリボンでラッピングしたチョコレートブラウニーの持ち主に視線を送る。チョコレートブラウニーの持ち主、稲田はちらりと川端に視線を送った後、丁寧に鞄へとしまった。川端の微笑みがより艶やかになる。
「いつものこととはいえ、後藤君には困ったものです」
 議長は更にため息をつく。
「議長、ため息をつくと幸せが逃げますわよ」
 愉快そうに笑うのは、最年長の井上だった。
「井上君。そういう冗談はやめてくれないかね」
「あら、議長はため息をついても幸せは逃げないと?」
「そんな、非科学的なこと」
「あることを証明するのは容易いですけれども、ないことを証明するのはとても難しいことですわ。議長ともあろう方が、絶対にないと言いきれない以上、簡単に可能性を切り捨ててもよろしくて?」
 議長は「井上さんには弱いですなぁ」と他の少年にからかわれ、苦笑した。
「そういえば、井上さん、今日の夕食は何になさいます?」
 川端が尋ねる。
「そうね。まだ迷っているところなのだけれど……。川端さんは何にする予定かしら。今晩は川端さんと同じメニューにしようかしら。なんてね」
「そんな……私が井上さんと同じものを、と思っていたのに……先を越されちゃいましたね」
 川端はいらずらっぽく笑った。会話から残された少年たちは、食べたいものを口々に言い始める。
「今日はカレーライスがいいですなぁ」
「私はスパゲティが」
「いえいえ、ハンバーグも捨てがたい」
 その会話を聞いた井上がため息混じりに呟く。
「いい加減、お子様ランチから卒業したらいかが?」
「こりゃあ、一本とられましたな!」
 笑いの輪が広がっていく。
「お野菜とか、そういうバランスを考えたものを食べた方がよろしくてよ」
 一人笑いの輪に入らなかった井上が、口を尖らせて言う。
「いやあ、私、家庭科の授業が苦手でして。五大栄養素、でしたっけ? タンパク質、炭水化物、カロチン、脂肪……えっと、あと何でしたっけ?」
「無機質」
「そうそう。それそれ。無機質」
「あれ、カロチンじゃなくて、ビタミンじゃなかったでしたっけ?」
「あっはっは。まぁ、そんな具合でしてね」
「そうやって家の人に頼りきりではいつまでたっても一人立ち出来ませんよ」
「あっはっは。井上女史にはかないませんなぁ」
 井上は暖簾に腕押しな状況に、不快感を隠すことなく、話は打ち切りとばかりに川端の入れたお茶を飲んだ。
「ところで議長、今日の議題は結局何なんですかね?」
 岩沢が尋ねる。
「議題、ですか。私としましては、全員揃ってからの方がいいかと思うのですが。皆さんどうでしょう」
 意義なし、いや、先に聞いておきたい、話題による、など、あちこちで囁かれる。簡単にはまとまりそうもなかった。
「じゃあ、ヒントだけ、でもどうです?」
「それなら、議題そのものは聞いてないし、しかし議題の内容は聞いている」
「それでいきましょう。じゃあ、議長、ヒントを」
「ヒントですか……」
 議長は予想外の展開だったため、しばし考えた。簡単に分かってしまうようなヒントでは、それはもはやヒントではなく、答えである。慎重に言葉を選ばねばならなかった。
「洞窟の壁に映る影についてです」
 口に出してから議長は、自らが答えそのものを答えてしまったことに気づいた。しまった、と思った時にはもう遅かったのだが、ヒントとして言われた答えは、逆に、今、答えとしての存在を持っていなかった。あちらこちらで意味を推測されているのを聞き、議長はこっそり胸をなでおろした。
「最近、隣の家のキーちゃんが、ゲームセンター通いにハマってましてね。やたらと私を誘うんですよ」
「いいじゃないですか。楽しいですよ、ゲームセンターは」
「うーん、どうも私には、ゲーム機に百円投じるだけの価値を見言いだせないのですよ。ゲームをやるなら家で十分です」
「なるほど。それは誘われても苦痛ですな」
「キーちゃんのボタン裁きは妙技と言っていいものなので、見ている分には嫌じゃないんですがね。困ったもんです」
 初めから議題になぞ興味のない一部の人間は、全く違う話で盛り上がっていた。
次第にその輪は広がり、議長の与えたヒントなど、誰の頭からも抜け出ていってしまった。もちろん、議長の頭の中からも。
「ところで、私たちは何をしていたんでしたっけ」
「そうです、そうでした。後藤君が来ないんですよ」
「もう三十分も経ってますね。会議が成り立ちません。困ったものです」
「今日の遅刻理由は何でしょう」
「やっぱり私としては親族がお亡くなりになったというのを推したいですな」
「いやいや、道端で困っているお婆さんを助けたに一票」
「西瓜の食べ過ぎで腹を壊したに一票」
「冬の今、どうやって西瓜を食べるんですか」
 全員が思うままに話し続けた。コの字型に並べられた長机。議長から見て右側一番奥に座った高杉が全員を見渡しながら呟いた。

「ところで昨日、後藤は来ましたっけ?」

- Fine -
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