Coelakanth 縦横切替
「実は昔、シーラカンスだったんだ」
 父が突然、そう言い出したのは、スキー場のリフトの上でのことだった。
 二人乗りのリフトは、二人乗りにしてはやたらと長い距離を進む。前をまっすぐみても、降り場までまだ大分ある。ポールに書かれた数字は、まだ半分も行っていないと物語っていた。風のためか、はたまた乗り降りの時に誰かが躓いたかしたらしい。リフトの動きは止まっていた。あるのかないのか分からない風に吹かれて揺れる、揺れる。
 リフトの上では、動いているときでさえ会話が難しい。普段は普通に話しているのに、リフトに乗った瞬間、話す言葉が思い浮かばなくなってしまう。ましてや宙づり状態の今、何か言えるわけもなかった。
「突然言っても、信じてもらえないだろうが」
 文字通り地に足がついていない状態で力を抜くと、スキー板の重みが全て、足首にかかってしまう。若かりしあの頃、いや、今でも充分若いのだが、同じ若さでもどちらかというと幼さに近い若さをもっていた頃、所属していた陸上部の活動で、足首を痛めてしまっていた。走り方が悪かったのだ。ついでに、準備運動もろくにしていなかった。
 歩く分には何の支障もないのだが、なるべく足首に負担をかけたくないのは確かだ。腿に力を入れてスキーの重みに耐える。不安定なリフトは力を込めるたびにまた揺れる。
 昼頃は晴れていたというのに、雪が舞い始めていた。うちの近くでは滅多にみないぼた雪が視界を遮る。そのうち吹雪になるだろう。
 フェイスマスクの中はすっかり蒸れていた。息を吐いた端から、水分になってゆく。
「何度も海にもぐった。光が減り、水が青から黒へと色を変えていくのをみながら、海底も宇宙も変わりないと思ったものだよ」
 雪が止むことはなかった。寧ろ水分を含んだ雲は、太陽が力尽きてしまった時をこれ幸いとばかりに風と共にますます雪をまき散らした。
 山の斜面に、熊か鹿か、はたまた兎の足跡が点々と蛇行しつつも山頂に向かっていく。
「父がシーラカンスなら、自分もシーラカンスなのか」
 ふと思った疑問を口にしてみた。雪の中で、フェイスマスクから声が聞こえるはずがないと思っていたのだが、父はゆっくり首を横に振った。
「お前は、マンボウだ」
 父に顔を向けると、父もこちらを向きながら、フェイスマスクとゴーグルで見えるはずのない笑顔を浮かべて、
「俺も、今はマンボウだ」
と、言った。
 間もなくしてリフトは動きだし、降り場をあとにした父と自分は、目の前の斜面をおりたところにあるレストランで、カレーを食べた。シーフードカレーが絶品だった。
 シーラカンスという名前の意味は、空っぽの魚の骨、だと、春の花見の時に聞いた。
 マンボウは、硬骨魚類だそうだ。 
後書き
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