真夏の夜の読書 縦横切替
 窓の外から、熱っぽい風が入り込んでくる。時計の針が頂点を回ったというのに、まだまだ気温が下がらない。気温が下がらないと、どうも夜になった感じがしない。そのせいでいつも夏は夜ふかしになる。
『今度の読書会は、これを読みます!』
と、LINEで回ってきた、次の読書会で読む本は、先日芥川賞をとったばかりの本だった。
 純文学よりはエンターテイメントの方が好きな僕は、正直直木賞の方が気になっていた。今年は、直木賞をとってもおかしくなかったのに、ずっととれていなかった有名作家が満を持して受賞した年なのだ。これを読まずして、何を読むというのだ。
 だが、お題はお題だ。読まざるをえない。図書館で借りようかと思ったが、予約数がとんでもないことになっていたので、おとなしく千五百円を出して本屋で買ってきた。読書会が終わったら即座に売り飛ばすと思うと、もったいない気がしてならない。
 ソファに座りぱらぱらと読み進めるが、やはりどうも気が乗らない。エロいことを書けば革新的な純文学だと思ってるんじゃなかろうか、という、僕の純文学への偏見をより強固にしていくようで、ページを繰るスピードもまったくあがらない。
 煽情的な描写をするならばポルノ小説の方がずっと俗っぽくて、効果的。美しい世界を書こうというのならば、この主人公の視界を広げるべき。あーあ、川が出てきちゃったよ。「行きて帰りし物語」の典型。もう少し手つきを隠せばいいのに……これだから新人賞は……。
 文句ばかりが次から次へと流れ出てくる。書けといわれても書けないが、読み手としての道具ばかりが手元にそろっているせいで、ひどく厳しい読みになっている気もする。読み手としての道具ばかりを手元にそろえて、本来読み取るべきものに目が行っていない気もする。
 もっと、小説を小説として読めればいいのだが。下手に勉強をするとこういうときによくない。
 読書会の光景を思い起こす。他の面子はもっと、雑談のように、感じたことをそのまま言っている。僕だけが、構造が、言語の運用が、とわめいている気がする。
 頭を空っぽにして、ただ目の前にあるものを、目の前にあるものとして見る。それのなんと難しいことか。
 風に揺られた木々の、葉がこすれる音だけが耳に届く。どこかの家の蚊とり線香の匂いが漂ってくる。
 夏の暑さは頭の中のコンピュータを熱暴走させる。自らのあり方を否定するには頭が追いつかない。頭を冷やす秋風の到来は、まだ、ない。
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