室内タイムリープ 縦横切替
「これはまた……」
 病室にたどりつくと、伯母が目を覚ましていた。
 伯母は子どもの頃に植物状態になっていたのだが、驚くべきことに、四十年の眠りから本日覚めたのであった。
 伯母が植物状態になってからは祖父母が、祖父母が定年を迎えてからは私の父が伯母の面倒をみてきた。祖父母が亡くなるまでは……と言葉にはしなくても、誰もがそう思っていた。
 だから、突如目を覚ましたという報せが我が家に入ったとき、よい報せであったにもかかわらず、誰もがパニックに陥った。家にいた母は何故か、仕事中の私に真っ先に電話をかけてきた。まず祖父母と父に連絡すべきだろうという私の言葉に、母はようやく順番を間違えたことに気づき、電話を切った。
 上司に事情を説明して、定時上がりをした。
「伯母さんなんだろ。お前が行く必要があるのか」
と言われたけれど、母親の慌て具合であるとか、祖父母の年齢などを含めてより詳しく説明し、なんとか人手が必要である、ということを納得してもらえた。明日は終電覚悟だろう。
 夕食用のパニーニとコーヒーをその辺のコーヒーショップで購入し、病院へ向かう。電車の中で食事をするのは好きではないが、この際仕方がない。人の目を気にすることなく、伸びるチーズがはさまったパニーニをどんどん口の中につっこんでいく。
 なんとか実家の最寄り駅までにコーヒーを飲み干し、ホームでゴミを全て捨てた。タクシーをつかまえて、そのまま病院へ向かった。
 何度も来たことのある病院は、既に面会時間を過ぎていた。裏口から入り、ナースステーションで軽く挨拶をしていく。私よりも看護士の方が事情を把握しているため、どうぞどうぞと言われる。別に顔を出さなくてもいいのかもしれないが、一応挨拶をしておくにこしたことはない。
 廊下の一番奥にある、伯母が寝てる病室から暗い廊下に光がもれていた。病院に入る前にケータイを確認したが誰からも連絡が来ていなかったが、誰かがいるのだろう。
 引き戸を開けて中に入ると、祖父母と父と母がいた。叔父一家がいれば一族揃い踏みといったところだが、叔父は遠地に住んでいるため、今日は来られないのだろう。週末にきっと泊まりに来るだろうから、実家の掃除を手伝わなくてはいけないんだろうな、と少し憂鬱になる。
 ベッドの上で伯母は、私を不思議そうに眺めていた。動く伯母を見るのは初めてだ。いつも何かしらのチューブにつながれてじっとしていた。
「お母さん?」
 伯母の声は、確かに五十を前にした女性の声であった。寝ていても肉体に変化があるのだなと変なところに感心してしまった。
 そこでようやく、この困った事態に気付いた。
 伯母は私に対して「お母さん?」と呼びかけていた。
「これはまた……」
 伯母に聞こえないように私は呟いた。
 私は父に似ていると言われがちであるが、父は祖母に似ていると言われがちであったらしい。記憶が四十年前で止まっている伯母からすれば、一番私が記憶の中に近い母親の姿なのだろう。
 祖父母と両親はどうしたらいいものかという顔をしていた。どうやらうまく説明できないでいるらしい。
「でも、お母さんじゃない?」
 いくら似ていても当人ではないのだ。表情やしぐさで違う人であるということはなんとなくわかるものだ。双子であってもそうなのだから、祖母と孫ではまったく違うものであろう。だから。
「うん、お母さんじゃないよ」
と、正直に答えた。祖父母と両親はぎょっとした顔でこちらを見ていた。多分、事実を話して混乱を生むくらいなら、ほんの少しの間でも私に母親のふりをさせようとか考えていたのかもしれない。先手を打っておいて正解だったらしい。
「今、どうしてここにいるか、説明はされた?」
「ううん」
 ……ここにいる大人たちは、雁首そろえて何をしていたのだ。膝をついて伯母の目の高さに合わせて話しかける。
「あなたはね、ずいぶんと長い間眠っていたのよ」
「どのくらい? 一日くらい?」
 八歳児にとって、長い間というのは一日か。説明にどれほど時間がかかるのだろうと思うと頭痛がした。
「あのね、お姉さん」
 おばさんでなくてよかった、と妙なところで心底ほっとしながら話を促す。
「もう八時を過ぎちゃったの。私、眠らなくていいのかな」
 八歳の頃の生活習慣。伯母は記憶していた。祖母が涙を浮かべているのを見ながら、
「そうだね。今日はもう遅いから眠った方がいいね」
といった。
「また明日、会いに来るからね。その時にお話しようね。お休みなさい」
「うん。お休みなさい」
 伯母は子どもらしく頷き、愛用のうさぎの人形を抱きしめた。
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