罪人の故郷 縦横切替
 彼は遠い島から戻ってきた。長い間島に閉じ込められていたものだから、男の顔は海風に削られた岩のように彫りが深かった。
 島を出る際に、島の管理人は男の身なりを整えてくれた。長い間島にいると、どうしても島の雰囲気が体に染みついてしまう。そうなれば、男は島の外では生きていけない。 
 黒いハットにダークグレーのスーツ。白いシャツに、茶色の革靴。伸び放題になっていた髪や髭も整えられた。革の鞄をもった男は、自分の姿を見て宗教家のようであると思った。
 男は罪人であった。
 島を出たならばどこへ行っても構わないのであるが、男は故郷の町へと戻った。男は町の人間が自分を見つけたら石を投げるかもしれないと思ったが、それでも構わないと思っていた。罪人とはそのようなものである。もし他の、男を罪人と知らない土地へ行ったところで、自らの故郷を捨てた人間など、大概はやっかい者である。それならば、生まれ育った土地の方がよいと考えた。
 男の故郷は港町であった。漁師と、漁師から魚を買う商人が集まり、町を作った。漁師と商人が集まれば、当然その家族も港町に住むようになる。人が集まれば市が立ち、宗教施設が立ち、教育施設ができ、病院ができる。城があるような街には遠く及ばないが、それでも立派な町であった。
 島から出る船に乗り、男は故郷の町のことを思った。故郷には家族はいなかった。両親も兄弟も、親戚もいない。もしいたとしても、罪人を出した家がそのまま町にいることはできなかっただろう。
 親類が一人もいない町に、どうやって男が生まれ落ちたのかはわからない。生まれたばかりの男をこの町に残して親類は去って行ったのかもしれないし、男が生まれたばかりの頃に両親が死んだのかもしれない。誰も本当のことを知らなかった。
 遠くに港町が見え始めた。煉瓦の赤い屋根が、斜面にそって並んでいる。かもめが帆にかすめるように飛んで行く。
「もう少しだぞ」
 島の管理人の一人が言った。男は頷いた。
「外界の情報はこの船を降りるまで伝えてはならない決まりだが、あの町はお前の知っている町ではない。本当に、いいのか。他の町に行った方がいいのではないのか。一度船をおりてしまえば、他の場所に案内することはできないが、いいのか」
 島の管理人の一人は、男に最後の確認をとった。男は構わないと答えた。それきり島の管理人は何も言わなかった。
 男は自分の罪を思った。多くの人間を殺した男は、今ふたたび戻ってきたこの町で、今度は医師として人々の命を救おうと考えていた。それが男にとっての贖罪であった。
 午後の海は静かであった。漁船は一隻も見えなかった。男は、早朝に漁をした漁師たちは、もう引き上げてしまったのだろうと思った。
 しかし、船が港町に近付くにつれ、男は妙であると感じ始めた。静かすぎるのである。よくよく見てみると、定置網の印も見えない。
 男は首をひねりながらも、黙って船に乗っていた。船は港町についた。
 船からおりた男の前には、誰もいなかった。船や漁の道具を手入れしている漁師も、魚の処理をしている漁師の妻や子どもも、魚の入った木箱をもった商人たちも、誰もいなかった。
 足元の煉瓦はすっかり海風に削られて、男の顔のようにあちらこちらに割れ目が入っていた。
 島の管理人の一人も男と一緒に船をおりた。男より少し前に出て、町を背負うように立った。
「お前の故郷であるこの町には、もはや誰もいない。お前は伝染病にかかった患者を全て殺して町を守ろうとしたが、伝染病には潜伏期間というものがあった。お前が島に送られたあと、再び伝染病は流行し、この町の住人の多くは死んだ。生き残った者たちはもう、ここにはいない」
 島の管理人の一人はそれだけ言うと、再び船に乗って島へ帰って行った。
 男は誰もいない廃墟の町を眺めながら、崩れ落ちた。
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