特効薬 縦横切替
 毎年秋口に風邪をひく。
 社会人となって数年経つが、毎年この次期に二日ほど休むので、もはや職場では恒例行事扱いになっている。
 無理矢理に治して、若干ふらふらしつつも会社に行くと、
「おお、もういいのか。昨日はみんなで、お前が倒れたからもう秋だなって話していたんだぞ」
と、必ず笑われるので、初めの何年かはむっとしていたが、今ではそんな言葉もさらりと流せるようになっている。体調不良に理解がない職場ではないので、悪意はないのだ。だから、いちいち突っかかるのは無意味なことだ。この言葉があって、初めて恒例行事が終わるのである。
 それはともかくとして、風邪をひいた。布団の中が妙に温かい気がしたので体温をはかってみたら、見事に熱が出ていた。昨日の夜、総合感冒薬を飲んでいたのにこの有り様である。上司の出勤時間を見計らって、休みたいと申し出ると、
「そろそろだと思っていたよ」
と、あっさり休みを認めてくれた。ついでに明日も休みになった。忙しい時期でなくてよかった。
 買い置きしておいたバターロールを口につっこんで、今度は熱さましも入っている風邪薬を飲む。ついでに買い置きの栄養剤も飲む。
 布団に戻って目を閉じると、まどろむこともなく熟睡した。次に意識が戻ってきたのは昼過ぎだった。カーテンを閉めていたため、時間がわからなかった。ぼんやりした頭を振りながらテレビをつけると普段見たことのないバラエティのような、ニュースのような番組が流れていた。
 コンソメの顆粒をまぜた牛乳を底の深いフライパンに入れて温め、冷凍保存しておいた温めご飯を入れた。簡易リゾットを作り、さっさと食べる。食べないと薬が飲めない。
 胃の中を落ち着かせた方がいいのだろうが、ソファに座っているのもつらく、布団の中にもぐりこんだ。しかし、いつもと違う時間に眠ったので、今度はどうも目が冴えてしまった。眠れない。
 枕元に起きっぱなしになっていた文庫本を手にとる。谷崎潤一郎だ。上司にいらなくなったからともらった文庫本なので、正直興味はない。日本文学にも興味がない。と、いうか、小説に興味がない。なんだって、仕事以外で文章なんか読まなくちゃならんのだ。
 しかし、テレビの音は頭に響くし、CDをかけるのも面倒くさい。スマホも充電中だ。手が届く範囲にあるのは文庫本しかない。
 布団から手を出して、文庫を開く。小さな文字がぎゅうぎゅうに詰められた本は、読み方がわかっているし、確かに読んでいるはずなのに、中身がまったく頭に入ってこない。目が字の上をつるつると滑る。目が疲れる。頭もぼんやりする。あ、もう駄目だ、これ。
 一ページ目から限界がくる。栞をはさむことなく、文庫本を枕元に放り投げる。表紙が折れたような気もするが、そんなことよりも、眠い。
 あ、これ、いいかもしれない。
 本を開けばすぐに眠りに就ける。来年の風邪の時期には文庫本を用意しておこう。すぐに眠れるから……。
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