Diary

pot-pourri cafeの日記的メモ

『ピコピコ:』備忘録
 毎度おなじみ、自作の話です。
 以下、自作語りになりますので、隠しますね。

 一番古いファイルの作成日が2006年ということなので、えっと、二十年前から書いているということに……? こわ……。

 大雑把に言うと初めはカウンター的なニュアンスが強かったです。「萌え」とか「キャラクターの型」とか、そういうものに対するカウンターというか、「猫耳が生えてる女の子って、実際にいたら怖いのでは?」というある種の「男性オタク」的フェチズムに対する冷や水のようなところがありました。
 話の筋は割と早い段階で決まっていたように思います。モマもかなり早い段階からいましたね。
 恐ろしいはずの猫耳少女が動物を殺して食べることに忌避感を覚えたり、同じく動物耳の少年が人間に復讐したりするのは、「存在としては怖いけれど、ずいぶんと人間っぽい」というか、当時発行していた同人誌の「似非児童文学」の流れを大きく汲んでいたと思います。教訓的なニュアンスですね。
 ちなみに、ピコたち「モダンアーツシリーズ」という名称は、先に「モマ」って名前があったからです。後付けですね。ほかの子たちにも現代アート系の美術館名がついてます。

 ところがです。ここから大迷走を始めます。
 まず、そもそも冷や水としての創作はまあうまくいくはずもない(笑)。そこはまあ、早めに捨て置いたのですが。
 背景を考えていくとですねえ……猫耳少女って要は奇形なわけで、じゃあどうやって生まれたんだってなると、核戦争後の放射線の影響だなあってなったわけです。うーん、この段階でもたしかまだ、東日本大震災の前だったと思うんですよ。どっちかというとチェルノブイリのイメージですね。自然発生ではあるけれど、人為的な面もある感じです。
 あと古くからのかたはご存じの通り、子どものころ『+ANIMA』という漫画を読んだり、そこからイメージを膨らませた話(二次創作ではなくて)を書いてみたりしていたので、そういう流れもあって。
 ファンタジーであるけれど、徐々にSF的ニュアンスが混じってきたわけです。

 でねえ……東日本大震災があったわけです。うーん、これはねえ、書きにくくなりますよ。あまりにもね。世間のプロアマ問わず創作する人たちが不安や悲しみや様々なものを表に出した創作をしているものですから、この話も強制的にその文脈にのせられちゃうのではと思ったわけです。この話についてはその文脈ではなかったから、そういう風に読まれるのは嫌だなあという思いがあって、制作の優先度が下がっていきました。

 で、2012年『人類は衰退しました』のアニメとか、ポスト・アポカリプスものをちらちら見ていたので、全体的にそっちに寄っていきました。
 この間、割と書いてたんですけど、書いては没にし、書いては没にしを繰り返していました。
 『キック・ガール・キック』を書いた後あたりに、ああ、次は『ピコピコ:』だなって思ったわけです。今なら書ける気がするという天啓(笑)があったわけです。

 で、書き始めたのですが……おかしいと気づきます。そうです。マオがまともな人間ではなかった(笑)。
 「ファンタジーな存在があちらからやってきて、それに遭遇して不思議な体験をする人」という役回りだったはずが、そもそもまともではなかったことに気づいてしまったわけです。どちらかというと「やってきたファンタジーな存在」であるところのピコのほうがまともだったし、復讐者であるはずのモマのほうがめちゃくちゃまともだった(笑)。
 初めのころに書いては没にしていたころのマオは、まだ「お前が復讐してもあの子は悲しむぞ!」的なね、まともさがあったわけです。でもねえ、背景を考えていくにつれて、「そもそも安全な場所から飛び出して、寿命が縮まるとわかっている場所で一人暮らす少年なんて、我が強すぎだし、倫理観的なものが少しずれるだろう」って気づいてしまった。
 ここで困るわけです。何が困るって、まともではない人間の一人称でいいのか、という問題です。 読んでもらえるのかとか、そもそも書いていって「まともじゃない」感じになるのかとか、マオの視界に見えるものを書くのはふさわしいのかとか。そこで一人称で書いたり三人称で書いたりと迷走が始まります。これ、結構最後のほうまで引きずった問題で、三人称のはずなのに若干ゆるいところがあるとすれば、その名残です。モノローグを入れちゃえばいいんじゃないかとも思ったんですけどねえ……あまりモノローグが好きじゃなくて……。
 あと、『空中庭園』の時の経験もありますね。圭がその……まともじゃなかったのに一人称だったので、まあ、しんどかったわけです(笑)。圭のまともじゃなさとマオのまともじゃなさは全然違う種類のまともじゃなさ、なのですが。どちらにしても無理があるわけです。まともじゃないから。
 『星の声を聴く子ども』で「妹」の一人称がなかったのも、あれは「妹」がまとも……というか(概念として)人間じゃないからです。「僕」がカストル(人間)で「妹」がポルックス(神)なので、「妹」の語りはできない。
 まあそんなこんなでうんうんうなって、ひとまず『ピコピコ:』は三人称に落ち着いた、という感じです。

 物語としては固まっていたのに、世間の流れと、主人公のことで大迷走しましたが、ひとまずなんとか形になってよかった……。これだけ大迷走すると、もうちょっとなにかできたのではと思ってしまったりもするのですが……まあ、この辺にしておいてやろう的なね……感じでね……へへへ。

 表紙イラストについては、SKIMAを通してあか様に依頼させていただきまして、本当に素敵な絵を描いていただきました。ありがたい……(拝)。
 よくSKIMAでイラスト依頼を引き受けてくださるかたを見て回ってるのですが、「このかたに頼めないんだったら嫌だー!」レベルでイラストの雰囲気が『ピコピコ:』の方向性にあってると思って、お忙しいところお願いさせていただきました。めっちゃいい……かわいい……。かわいい中にも陰があるところもいい……。
 「本当に書き終わるのか……?」と思って頭を抱えている間も支えになってくれたイラストでした。かわいい……ありがたや……。畳む


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